【精神的な幸せ】と【身体的な幸せ】の違い

日本の自殺率の異様な多さ

日本人の死亡理由1位 : 自殺(15~39歳、平成28年)

若い世代の自殺、死因1位は先進国で日本だけ…H30年版自殺対策白書より

 

15~39歳とはまあまあ幅広いが、

なぜ、体力的に十分に元気そうな世代が、

なぜ、 物も食べ物もあふれている世の中で、

なぜ、不幸を感じて自殺に追い込まれているのか?

 

理由はいろいろあると思うが、その原因の一つに、精神的な幸福は定義しづらいということがある。 

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もくじ

 「身体的な幸福」は最低値の定義が簡単!

「身体的な幸福」における最低値、

つまり最も身体的不幸なこととは何だろうか?

それは言うまでもなくだ。

これを超える痛みなどもあるかもしれないが、死と比べればマシだろう。

 

このように、定義がしっかりと決まってくると、対策も立てやすい

 

死なないような、

医療を充実させていけばのだ。

「精神的な幸福」は最低値の定義が難しい

一方、「身体的な幸福」に比べ

「精神的な幸福」は最低値が定義がしづらい。

ある人にとっては、

   " 恋人が死ぬこと " かもしれないし、

ある人にとっては、

  " 侮辱されること " かもしれないし、

ある人にとっては、

  " 社会のリストラ " かもしれない。

 

なんせ、身体的な不幸であり、

最も避けるべきはずの「死」ですら、

精神的な開放だと思って望んでしまうことがある。

ココが「精神的幸福」のややこしいところだ。

「精神的な幸福」は最大値の定義も難しい

あなたの一番の幸福は何だろうか?

南の島で暮らすこと?

美女と結婚すること?

 

そういった幸福なら、お金があればなんとかなりそうなものだが、では精神の満足感は、お金があれば十分なものになるのだろうか?

当然ながら、それはない、「幸福度が年収に必ずしも比例しない」という統計も実在している。実際に、国民幸福度の最も高い国は、GDPが160位台のブータン王国である。

この事から「お金があれば幸福の最大値を保ち続けられる」とは限らないのだ。

 

よって、 精神は”幸福の定義”も難しい。と言うことが分かる。

 

では、なぜこんなに精神とはややこしく、分かりずらく、取り扱いづらいのだろう。「人間の精神は複雑で、、、」と、なにやら宗教ぽいことを語ってもいいのだが、ここでは対策を模索するために、一つ仮説を提示してみたい。

精神は目に見えない

と言う事だ。

対策:精神状態を視覚化する

精神は目には見えない。顔色や、心拍数、表情など、何らかの別の媒体を通して予測することはできるが、そもそも物質として存在していないのだ。

 

そこで、対策としては精神状態の視覚化が挙げられる。

なぜ、視覚化すると良い?

昔にさかのぼって考えよう。

人間は700万年前にチンパンジーの祖先と枝分かれしたと言われている。

つまり、それ以上も昔から、人は「視覚」情報に頼って生きるように進化してきた生き物であり、5感の中で最も認識しやすい感覚なのだ。

逆に、見えないどころか精神状態は5感のうちのどれを使っても直接確認することができないので、なかなか認知することが難しいのだ。

 

精神状態を視覚化することによって、自分を客観的に見ることができる。

 

視覚化するのはめんどくさいなと思ったら、数値で表すだけでもいい。

「今日は気分が落ち込んでるな~。気分は35点くらい。睡眠不足だからかな?」みたいに点数化してみると、視覚化しなくても客観視できる。

客観的に見るのが大事!

視覚化も大事だが、それは結局、客観的に考えられるからでもある。

客観的に観察し続けていけば分かるが、

精神には変化があると分かる。

そして、変化があると分かれば、それに対する対策と、「いつかまた気分は回復する。」「落ち込み気味の精神状態は一過性の物だから」と、つらい気持ちに対しても外側からアプローチできるのだ。